ペルシア戦争をわかりやすく解説

ペルシア戦争をわかりやすく解説

ペルシア戦争とは

ペルシア戦争は古代ギリシアの転換点となった戦争です。ペルシア帝国に対して、隷属か自立かを分かつ決死の戦争になりました。
戦後のギリシアの政治体制にまで影響し、18年後のギリシア全土を巻き込んだペロポネソス戦争にも大きく関係する出来事です。
ギリシア史を学ぶ上で重要なポイントですので要点を押さえておきましょう。
古代オリエント世界を統一し絶頂期にあったペルシア帝国に、小さなポリスの集合体に過ぎないギリシアがどう対抗したのでしょうか。

 

この記事の内容

 

 

いつどこで起こった戦争か

ペルシア戦争は、紀元前499年から紀元前449年にかけ、ギリシア諸ポリスの連合とペルシア帝国との間で3度に渡って行なわれた戦争です。イオニア地方、タソス島、エレトリア、キクラデス諸島、アッティカ半島マラトン、テルモピュライ、アルテミシオン沖、サラミス島近海などギリシア各地が戦場になった大規模かつ長期的な戦いになりました。

 

戦争の原因は?

ペルシアは小アジア沿岸のイオニア地方を支配下に置いていました。イオニア地方はギリシア本土の対岸にあり、古くから様々なギリシア植民地が存在していました。しかし紀元前499年になりペルシア支配への不満からミレトス主導のもと、イオニア人による反乱が勃発します。(イオニアの反乱

 

ペルシアは約6年かけてイオニア反乱軍を鎮圧します。ギリシアにとっては、対岸のイオニアが抑えられたことにより(北方のマケドニア、トラキアなども)、ペルシアの脅威が目前に迫る状況になってしまいました。ペルシア皇帝ダレイオス一世も、ギリシア本土征服を本格的に企てるようになります。

 

紀元前492年、いよいよペルシアは、イオニア反乱時アテナイが介入してきたことを口実にギリシア心臓部目指して進軍を開始します。ギリシアは当時ポリス間の紛争でまとまらない状態でしたが、アテナイ主導の会議に諸ポリスの代表が集まり即時紛争の停止が決議され、ペルシアに一体となって対抗するギリシア連合が成立しました。

 

 

戦争の結果と講和条約

開戦序盤はペルシア優位の情勢が続いていました。アテナイも占領されてしまいます。しかし最終局面であるサラミスの海戦(前480年)、翌年のプラタイアイの戦い(前479年)、ミュカレの戦い(前479年)でギリシア連合が勝利。戦力差をひっくり返すギリシア連合の巧みな戦術にペルシアは戦意を喪失し、ギリシアから撤退します。
そして前449年にペルシアとアテナイを盟主としたデロス同盟との間で講和条約(カリアスの和約)が結ばれたことで戦争は終結しました。

 

ペロポネソス戦争へ

戦後は再度のペルシア来襲に備えてデロス同盟が結成されました。その盟主となったアテナイは同盟の供出金を、自国の国益の為に使いまくり急速な発展を遂げました。当然そのことに反発する同盟ポリスが出てきたわけですが、アテナイは力を背景にそういった声を封殺し帝国主義的政策を推し進めるようになりました。
それに対抗しスパルタを中心とした諸ポリスがペロポネソス同盟を結成し、デロス同盟の諸ポリスに戦いを挑んだのがペロポネソス戦争です。

 

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