サラミスの海戦をわかりやすく解説

サラミスの海戦をわかりやすく解説

サラミスの海戦とは

サラミスの海戦は、紀元前480年の、アテナイを中心としたギリシア艦隊と、ギリシア征服を目論むペルシア艦隊がサラミス島近海で衝突した海戦です。ペルシア戦争最大の決戦であり、この決戦にギリシアが勝利したことで、ペルシアからのギリシア防衛が決定的なものとなりました。

 

 

開戦までの流れ

この戦いの直前に起こったテルモピュライの戦いでは、ギリシア最強のスパルタ軍が、ペルシア軍より全滅させられ、第1次防衛線が崩壊してしまいます。同じ頃アルテミシオン沖では、ギリシア連合艦隊とペルシア艦隊が激戦を繰り広げていました。(アルテミシオンの海戦)しかし防衛戦崩壊の報を受け、ギリシア艦隊は最後の防衛線であるファレロン湾内サラミス島に集結しました。

 

ペルシア艦隊撃破!

サラミス島はギリシア最後の防衛戦で、ここを突破されたらもはやギリシアはペルシアの手中に収まったも同然でした。そんな窮地を救ったのが、アテナイの将軍テミストクレスです。
ギリシア連合艦隊はペルシア艦隊を狭い水道内に誘い込み、小型船の機動力を活かしこれを殲滅したのです。この屈辱的な敗北を近くの海岸で見ていたペルシア王は、戦意を失いアジアへ撤退していったと伝えられています。

 

 

サラミスの開戦で使われた船

サラミスの海戦で使われたのは三段櫂座(かいざ)のガレー船です。120〜200人乗りで、80〜90トン級。当時としては最先端の船です。
戦術についてですが、この時代大砲のような大火力の武器は登場していませんから、基本接近戦になります。船をぶつけ、衝角(体当たり攻撃用の固定武装)で相手の船を破壊したり、乗り移って切り込んだり、矢、火矢を放ったりといったものでした。

 

民主政の成立と海戦の関係

海戦では巧みな接近や隊列の形成が重視されたので、漕ぎ手には高い技量が求められました。ペルシア戦争での漕ぎ手の活躍はり、武器を買えない貧民でも国防に貢献できることを示しました。つまりペルシア戦争は貧富に関係なく政治参加できる直接民主政の実現に繋がったのです。

 

 

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