デロス同盟をわかりやすく

デロス同盟をわかりやすく〜やがてアテナイ帝国へ・・・〜

デロス同盟をわかりやすく解説
〜やがてアテナイ帝国へ・・・〜

前5世紀に入り、オリエント世界の統一を成し遂げたアケメネス朝ペルシア帝国が、ついにギリシア本土の征服に乗り出しました。(ペルシア戦争)軍事力で圧倒するペルシアの進撃に、ギリシアは苦しめられましたが、前480年のサラミスの海戦と前479年のプラタイアの戦いで、なんとかペルシアを撤退に追い込むことができました。

 

しかし一時的に諦めさせただけで、ペルシアという国そのものに大した打撃はありませんでした。依然帝国の脅威は続いており、再度のペルシア襲来に備える必要がありました。
そこでペルシア戦争後の紀元前478年〜前477年に、対ペルシアの安全保障体制構築を目的に、200近くのギリシアポリスが加盟し結成されたのがデロス同盟です。ペルシア来襲の際には加盟ポリスが一団となってこれに立ち向かうことになりました。

 

この記事の内容

 

 

デロス同盟の結成とその内容

デロス同盟の加盟ポリスは軍艦を拠出し連合艦隊を編成し、それができないポリスは資金を同盟金庫に提供しました。
その同盟金庫の保管場所と同盟会議の開催地に選ばれたのが、ギリシアポリス共通の信仰対象があったデロス島なので、後世この同盟がデロス同盟と呼ばれるようになりました。デロス島には定期的にポリスの代表が集まり会議が開かれました。

 

デロス同盟のアテナイ帝国化

デロス同盟を主導していたのは、ペルシア撃退の最大の立役者であったアテナイでした。しかしペルシアの脅威が低下するにしたがい、このアテナイが非常に困った存在となります。
なんとアテナイは同盟資金を自国の発展のために勝手に流用するようになったのです。ついには同盟金庫もアテナイに移管され、デロス同盟への資金提供はもはやアテナイへの「献金」と同じになってしまいました。

 

 

おかげでアテナイは政治的にも文化的にも大いに発展しました※が、当然本来の目的から逸脱したこのような使い方をよく思わないポリスが出てきます。しかしアテナイは、反発したポリスに経済的な制裁を加えたり、軍事的に服従を強いるなど帝国主義的な姿勢を辞さないようになりました。同盟は実質アテナイ帝国と化してしまったのです。

 

※アテナイを象徴するパルテノン神殿はこの同盟資金をもとに建設されたものだし、アテナイの民主政は、同盟資金により国が潤い貧しい者も政治に参加できるようになったため成立したものです。

 

ペロポネソス戦争と同盟解体

このアテナイ帝国化に反発したポリスを、スパルタを中心とするペロポネソス同盟が支援するようになり、そこからのデロス同盟とペロポネソス同盟の対立の激化により紀元前431年ペロポネソス戦争が勃発したのです。ギリシア全域を巻き込んだ戦争になりましたが、結果はアテナイ率いるデロス同盟軍の敗北となり、デロス同盟は解体されることとなりました。

 

デロス同盟とペロポネソス同盟の違い

デロス同盟はアテナイを始めとしたイオニア地方の諸ポリスが中心となった同盟で、ペロポネソス同盟はスパルタを始めとしたペロポネソス半島の諸ポリスが中心となった同盟です。

 

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