陶片追放のデメリット〜古代ギリシアの追放制度〜

陶片追放のデメリット〜古代ギリシアの追放制度〜

陶片追放のデメリット
〜古代ギリシアの追放制度〜

古代ギリシアのアテナイにおいて、僭主(いわゆる独裁者)の出現を防ぐ為、市民が投票を行ない、僭主になる恐れのある人物を国外追放に出来た制度を陶片追放(とうへんついほう)、オストラシズムといいます。

 

貴族政から民主政への過渡期(前7世紀〜前6世紀)に僭主を生んでしまった反省をふまえ設けられました。市民が独裁者になる恐れのある者の名前を陶器の破片(オストラコン)に記し、投票数が6000に達した者は、10年間国外追放されます。

 

 

陶片追放のデメリット

陶片追放は独裁者の出現を防ぎ、貴族の内乱を穏便に解決する手段でもありました。しかしこの制度はやがて、たんに気にくわない人物を追放するための手段として悪用されるようになります。もはや本来の目的を失い、多くの優秀な人材の損失を招いたことから、前4世紀以降機能を停止しました。

 

陶片追放されたペルシア戦争の英雄

陶片追放により故郷を追われた人物として、ペルシア戦争の英雄でアテナイの政治家であるテミストクレスが有名です。
彼はペルシア戦争におけるギリシア防衛の中核を担った人物で、誰もが彼の功績を認めていましたが、戦後は権力への強い野心を見せるようになり、「独裁者候補」として陶片追放でアテナイを追われてしまったのです。

 

ペルシアに亡命したテミストクレス

彼は追放後、ペルシアに亡命しました。テミストクレスはペルシア人にとって仇敵であり、そんな地に飛び込むのは自殺行為のように思うかもしれませんね。しかし彼はサラミスの海戦直後にペルシアに恩を売っており、そのおかげでペルシア王からは友好的に迎えられたそうです。しかしやがて故郷であるギリシアと戦うことを求められて、自ら命を絶ったといいます。

 

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