古代ギリシアの法律・改革

古代ギリシアの法律・改革

古代ギリシアの法律・改革記事一覧

奴隷とは人間としての権利が認められず、主人の所有物として無償労働に従事する人々のことです。ギリシアでは、市民権を持つ者ならば、中級層以下であっても平均2〜3人程度の家内奴隷を所有していたといいます。奴隷は物と同然に扱われるので、売買・譲渡の対象でもありました。奴隷交易で栄えたデロス島では、1日に1万人以上の奴隷が取引され、莫大な利益を得ていたといわれています。こういう例があるので、古代世界広くでみ...

古代ギリシアのアテナイにおいて、僭主(いわゆる独裁者)の出現を防ぐ為、市民が投票を行ない、僭主になる恐れのある人物を国外追放に出来た制度を陶片追放(とうへんついほう)、オストラシズムといいます。貴族政から民主政への過渡期(前7世紀〜前6世紀)に僭主を生んでしまった反省をふまえ設けられました。市民が独裁者になる恐れのある者の名前を陶器の破片(オストラコン)に記し、投票数が6000に達した者は、10年...

古代ギリシアのアテナイには「ヘーリアイア(民衆裁判所)」と呼ばれる裁判制度が存在していました。希望する民衆(30歳以上の男子であることが条件)の中から抽選で6000人の陪審員が選ばれ、裁判の審議を行ないます。職業裁判官ではなく市民が裁判を取り仕切り、段階ごとの決定も市民による投票で行なわれる、民衆のための民衆による裁判といえます。ソロンにより導入され、アテナイの民主政を支える重要な国家機関となりま...

コリントス同盟とは、 カイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍にに勝利したマケドニア王国と、スパルタ除く全ギリシアポリスの間で、紀元前337年に結ばれた同盟です。古代ギリシア史の転換点となる重要な出来事なので、その内容について抑えておきましょう。コリントス同盟の内容と目的カイロネイアの戦いの後、戦勝国のマケドニアが、ギリシア諸ポリスをコリントスに集めて結成された為この名で呼ばれています。この同...

カリアスの和約はペルシアとアテナイとの間で、前499年より続くペルシア戦争終結を目的として、前450年に結ばれた講和条約です。講和条約締結までの流れ前480年のサラミスの海戦でアテナイを中心としたギリシア連合艦隊の激しい抵抗に遭い、ペルシア軍のギリシア征服の野望は一旦砕かれました。しかし撤退以後も、ギリシアとペルシアの小競り合いは継続しており、大敗続きだったペルシア側からついに和平を求めたのです。...

前5世紀に入り、オリエント世界の統一を成し遂げたアケメネス朝ペルシア帝国が、ついにギリシア本土の征服に乗り出しました。(ペルシア戦争)軍事力で圧倒するペルシアの進撃に、ギリシアは苦しめられましたが、前480年のサラミスの海戦と前479年のプラタイアの戦いで、なんとかペルシアを撤退に追い込むことができました。しかし一時的に諦めさせただけで、ペルシアという国そのものに大した打撃はありませんでした。依然...

アテナイが貴族政から民主政へと移行する中で行なわれた、極めて重要な改革の1つにドラコンの立法と呼ばれるものがあります。今回はその内容や成立の背景を紹介します。ドラコンの立法の背景貴族政末期のアテナイ。商工業の発達により自前で武器を購入できる平民が増え、平民主体の重装歩兵がポリス防衛の要として活躍するようになりました。しかしいくらポリスために命をかけて戦っても、平民達に発言権はなく、政治は一部の貴族...

ギリシア七賢人の1人ソロンが行なった改革の内容や、その改革が行なわれるにいたった背景について解説しています。この記事の内容1.貴族政期のアテナイを覆っていた社会問題とは ・参政権の問題 ・貧富の差の問題2.社会問題の是正に取り組んだソロンとは3.ソロンの改革の内容とは4.僭主の出現と民主政への移行貴族政期のアテナイを覆っていた社会問題とは前6世紀頃(貴族政末期)のアテナイ。深刻な社会問題が暗雲とな...

市民権法は前451年に古代アテナイで定められた法律です。両親がアテナイ人の男子に限定し市民権を与えるという内容です。ペリクレスにより提案され可決されたので「ペリクレスの市民権法」とも呼ばれます。市民権法の成立で変わったこと市民権というのはようするに政治に参加する権利のことで、アテナイでは18歳以上の男子皆に与えられたものでした。アテナイで生まれた男子であっても、両親のどちらかがメトイコイ(在留外人...

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