戦車競争の歴史とルール〜古代オリンピックの人気競技〜

戦車競争の歴史とルール〜古代オリンピックの人気競技〜

戦車競争の歴史とルール
〜古代オリンピックの人気競技〜

戦車競争(チャリオットレース)は古代ギリシアのオリンピックにおいて、紀元前680年の第25回大会から競技種目に加えられた人気種目です。戦車競争についての記述は、ホメロス叙事詩『イリアス』の第23歌に出てくる記述が最初です。

 

ギリシアが古代ローマに征服された後でも、ローマに引き継がれ熱烈な支持を集めていました。違うチームのファン同士で乱闘が発生するくらいの熱狂ぶりでした。

 

 

危険な競技

カーブ地点での衝突や転倒事故が非常に多く、馬や運転手が重症を負うことも珍しくない、大きな危険がともなった競技でした。オリンピック種目の多くが裸で行なわれるのに対し、戦車競争に関しては転倒時の怪我や競技中巻き上がる粉塵などに配慮し、衣服を着て行なわれていました。

 

戦車競争のルール

2頭、4頭、もしくは6頭の馬に二輪車をひかせ、48スタディオンの距離で競争を行なうという競技です。大会にはチームで参加し、チームはより有利になるよう、運転手には現代の騎手と同様に体重が軽い者を選出していました。

 

競技場の長さは約600ヤード、幅は約300ヤードで、競技場は丘の真下につくられ、1万人規模の観客を収容することができました

 

競技場への行列

伝令が運転手と戦車の持ち主名前を読み上げ入場します。スタート位置は外周の戦車が内側の戦車よりも先にずらされていました。
「鷲」「イルカ」と呼ばれる装置が高く掲げられることでスタートの合図とされました。

 

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