古代ギリシアと古代エジプトの関係〜戦争や文化交流の歴史〜

古代ギリシアと古代エジプトの関係〜戦争や文化交流の歴史〜

古代ギリシアと古代エジプトの関係
〜戦争や文化交流の歴史〜

哲学・芸術・文学・政治学・医学・・・現代社会ではあらゆる分野で西洋文化が最先端を走っています。いうまでもなく西洋の原点は古代ギリシアなので、古代ギリシア凄い!と言いたいところですが、何もギリシアは始めから独自に高度な文明を築き上げていたわけではありません。

 

むしろ元々資源の少ない貧相な土地で、文明開化は遅れをとっていました。文明が栄え始めたのは、造船技術・航海技術が発達し、地中海の向こうから様々な物や情報を取り入れるようになってからです。
そしてその物や情報の輸入先として、とても重要だった存在がエジプトです。
エジプトはナイル川の恩恵で肥沃な土地に恵まれた富と物資の溢れた王国です。ギリシアより1000年早く文明開化を研げ、ポリスとは対極な中央集権統一王朝を成立させていました。ギリシアはこの先進文明地域より様々なものを吸収することで発展することができたのです。

 

この記事の内容

 

 

エーゲ文明時代の貿易

ギリシアの青銅器時代、つまりギリシア最古の文明エーゲ文明が栄えていた時代は、クレタ島の人々が海を渡りエジプトと交流していたことがわかっています。貿易を通じてエジプトの工芸技術を学び、フレスコ画や陶器類など高度な芸術品を生み出しました。
またクレタ島の遺跡からは、未だに解読されていな線文字Aが発見されており、エジプトと経済関係を築く上での重要な役割を担ったと考えられます。

 

ポリス時代の貿易

エーゲ文明が滅び、ギリシア世界が、アテナイ、スパルタなどポリス中心の社会になっても、エジプトとの交流がギリシアで重要なものであることに変わりありませんでした。
ギリシアは雨の少ない地中海性気候が支配的で、地形も山がち。土地柄的に、麦などお腹の膨れる食料の生産には向いていません。
それに対しエジプトはナイル川の恩恵で肥沃な土が形成されており、麦類の栽培がさかんな穀倉地帯でした。ギリシアは地元で生産できるワインやオリーブオイル、陶器などを交易品として、エジプトから大量の穀物を輸入していたのです。

 

※エジプトを旅した歴史家のヘロトドスは、著書『歴史』の中で、「エジプトはナイルの賜」という有名な言葉を残しています。豊かなナイル川が古代エジプトの高度な文明を支えていた、という主旨の言葉ですね。

 

 

ギリシアとエジプトの戦争

マケドニア王国の皇位継承を巡るディアドコイ戦争(前323年-前281年)の結果、エジプトにはギリシア系のプトレマイオス朝(前305年-前30年)が誕生しました。多くのギリシア人がエジプトに入植し、エジプトはヘレニズム文化(ギリシア文化とオリエント文化が融合した文化)の中心として栄えました。

 

その後プトレマイオス朝はクレモニデス戦争にて、アンティゴノス朝マケドニアと対立するアテナイ・スパルタらギリシアポリスを支援しました。この支援には、東地中海で勢力を拡大する目的がありましたが、アテナイ・スパルタ連合軍が破れてしまい、目論見は失敗に終りました。

 

エジプトでも普及したギリシア文字

ポリス成立と同時期に発明されたギリシア文字は、エジプトとの通商の中で発展していきました。ギリシア神話が書かれたホメロス叙事詩はギリシア語で書かれた世界初の文学作品です。

 

また古代エジプトでは、エジプト語を表記する文字として、ヒエログリフやデモティックなど複数の文字が存在していましたが、前4世紀頃からギリシア文字を元にしたコプト文字が普及したことで、これらの文字は姿を消していきました。前4世紀のプトレマイオス朝の成立で、エジプトがヘレニズム文化(ギリシア風文化)の中心となり、公文書にギリシア語表記が求められるようになったためです。

 

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