テーバイの歴史や場所

テーバイの歴史や場所〜ギリシア最有力ポリスの一角〜

テーバイの歴史や場所
〜ギリシア最有力ポリスの一角〜

テーバイ(テバイあるいはテーベとも)はスパルタアテナイに並ぶ、古代ギリシア有力ポリスの1つです。ギリシア史における重要な1メインキャストであるので、テーバイの地理情報や歴史について抑えておきましょう。

 

 

テーバイの場所
テーバイはボエオチア地方、現・中央ギリシャ地方ヴィオティア県の県都ティーヴァにあたる位置に存在しました。同地方にはプラタイア、テスピアイといったポリスもありましたが、テーバイはボイアチア地方の中心に位置したので、自然とボイアティア同盟の盟主たる地位を確立していました。

 

ギリシアの覇権を握ったテーバイ

ギリシアの歴史というのはポリス同士の覇権争奪戦の歴史といえ、様々なポリスが覇権を握ったり手放したりと言ったことを前338年にマケドニア王国に征服されるまで続いたわけです。そんな中で、マケドニアに支配される直前の短い期間ではありますが覇権を握っていたのがテーバイです。(その前はスパルタの天下でした。)テーバイは強大な軍事力を持っていて、保有する「神聖隊」はギリシアで最強とうたわれた精鋭歩兵部隊として有名でした。

 

 

テーバイの盛衰の歴史

前480年のアケメネス朝ペルシアのギリシア侵攻(ペルシア戦争)に際しては、あっさり服従してしまいペルシア側につき、ギリシア連合と敵対する道を選びました。しかしペルシアはギリシア征服を断念したので、戦後ギリシア連合軍による激しい報復にあい、ボイアチア同盟の盟主からも引きずり下ろされてしまいます。

 

選択の誤りからどん底を経験したテーバイですが、その後勃発したペロポネソス戦争が再起のきっかけになりました。スパルタがアテナイへの対抗勢力として、テーバイを援助し、ボイアチア同盟の盟主に復権させたのです。国力を取り戻したテーバイは、前371年レウクトラの戦いでスパルタを破ることでギリシアの覇権を確立しました。

 

しかしテーバイの覇権は長くは続きませんでした。北方で勢力を拡大していたマケドニアの圧力を受け始め、前338年カイロネイアの戦いでテーバイ・アテナイ連合軍がマケドニアに敗れたことで、ギリシアの覇権をマケドニアに譲り渡すこととなってしまいました。

 

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