マケドニア王国の歴史〜ギリシア征服・帝国分裂まで〜

マケドニア王国の歴史〜ギリシア征服・帝国分裂まで〜

マケドニア王国の歴史
〜ギリシア征服・帝国分裂まで〜

マケドニア王国は紀元前7世紀頃、古代ギリシア人によって建国された国家です。前5世紀頃よりギリシア北方で国力を急速に拡大し、前4世紀にはアテナイテーバイといったギリシア有力ポリスを屈服させるほどの影響力を持ちました。事実上ギリシア世界の統一を果たした国といってよく、古代ギリシア史を学ぶ上で非常に重要な存在です。

 

この記事の内容

 

 

王国があった場所や首都

マケドニア王国はギリシア北部の平原に成立した王政国家で、現在のギリシア共和国マケドニア地方およびマケドニア共和国の一部にあたります。首都は5世紀末まではアイガイで、それ以降はペラです。現ギリシア共和国マケドニア地方の町ヴェルギアには、アイガイのものとされる遺跡が存在しています。

 

マケドニアの構成民族

紀元前1150年頃、北方から侵入してきた民族や、南西マケドニアから到来したドーリス系ギリシア人が融合し、マケドニア人という民族を構成したと考えられています。

 

マケドニアの歴史

王国の拡大

紀元前808年、王国最初の王朝アルゲアス朝が成立し、アテナイスパルタといった他の都市国家とは異なる独自の制度の元、国家運営を行なっていました。(言語や宗教は他のギリシア諸国と共通)
ギリシア世界ではたびたび自衛戦争(例:ペルシア戦争)や内戦(例:ペロポネソス戦争)が勃発しましたが、マケドニア王国は基本的に深入りせずどっちつかずなスタンスをとり、他の国が戦争に明け暮れている間、領土拡張や国内整備により国力の向上に力を入れていました。そうして着実に国力をつけていき、やがてはアテナイやテーバイといった有力ポリスを服属させるほどの発展をとげ、ギリシア世界の盟主たるポジションを手に入れたのです。

 

紀元前338年のカイロネイアの戦いでのアテナイ・テーバイ連合軍への勝利、紀元前337年のスパルタを除く全ギリシアのポリスが加盟したコリントス同盟の結成が、マケドニアのギリシアにおける支配者的ポジションを確立しました。

 

 

王国の分裂

ギリシア統一を果たしたマケドニアは、その後小アジア、エジプト、シリアと東方広しに伸張し、東地中海全域に覇権を広げる大帝国を創り上げました。しかしアレクサンドロス3世の死去を受け、その後継者の座を巡るディアドコイ戦争(後継者戦争)が勃発。最終的に国土はギリシアのアンティゴノス朝、エジプトのプトレマイオス朝、シリアのセレウコス朝の3つに分裂してしまいます。

 

ローマ帝国による滅亡

その後マケドニア王国は、イタリア半島の統一を果たし東地中海へと進出を始めていた共和政ローマとの覇権争いに突入します。第三次マケドニア戦争でアンティゴノス朝が打倒され王朝が断絶し、第四次マケドニア戦争の敗戦でマケドニアはローマ属州と化してしまいました。マケドニア王国の歴史はここで幕を閉じたのです。

 

現在のマケドニア

マケドニア王国は滅亡しましたが、この王国の故地はおよそ465万人が暮らすマケドニアという地域となっています。この地域は、北マケドニア共和国/ギリシャ共和国/ブルガリアという3つの国の領土にわかたれており、それぞれの国が占める割合は4:5:1です。地理や文化的観点から、ギリシャ人にとって、マケドニア王国の歴史は自国の歴史の一部という自意識が強いです。

 

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