アテナイの文化的特徴と歴史

アテナイの文化的特徴と歴史〜ギリシア屈指の経済圏〜

アテナイの文化的特徴と歴史
〜ギリシア屈指の経済圏〜

ギリシア世界には1000以上のポリスが自治独立して並存していましたが、政治的にも文化的に突出していたのがアテナイです(現・ギリシャ共和国の首都アテネの古名)。現代に残る史料はアテナイのものが最も多いので、ギリシア史の学習は基本的にアテナイ史の学習と思ってもらっていいでしょう。

 

この記事の内容

 

 

アテナイの地理

アテナイ(現・アテネ)はアッティカ半島西の海沿いに位置します。ギリシアに存在したポリスの8割は200平方メートル以下の面積でしたが、アテナイは2550平方キロメートルという圧倒的な面積を誇っていました。これは日本の佐賀県とほぼ同じ面積になります。

 

 

名前の由来

アテナイという名前はギリシア神話の知恵や芸術を司る神アテナに由来しています。ミノア文明の頃より都市の守護女神として崇拝されていたと伝えられています。アテナイだけでなく、ミュケナイ、コリントステーバイなど数々の有力都市で女神アテナを祀る神殿が置かれていました。

 

経済

アテナイは海沿いに立地するポリスです。エーゲ海や黒海での海上貿易を基盤として発展していきました。ワイン、オリーブオイル、陶器等を交易品に、様々な食料や物を輸入していました。アテナイはギリシアで唯一大きな銀山を保有しており、その銀山をもとに生産される銀貨も、国の発展に大きく寄与しました。船舶の材料となる木材を大量に輸入できたのは銀貨のおかげです。

 

 

政治

アテナイは、市民全体の政治参加 (エクレシア ) 、つまり直接民主制を実現させ、現在の民主主義の起源となったことで有名です。アテナイは前8世紀頃に成立したと考えられており、以来王政による支配が続いていましたが、前6世紀末に市民が法律や法案に直接投票できる直接民主制が始まりました。

 

 

教育

アテナイでは7歳になるとスコーレと呼ばれる私塾で、読み書きや計算、体育、音楽などの教育を受けました。ただし教育を受けられるのは上流階級の男性に限り、女性、奴隷、外国人などは対象外でした。またアテナイ郊外には、プラトンにより設立されたアカデメイアと呼ばれる教育機関がありました。

 

 

軍事

アテナイの男子は18歳から19歳の2年間は見習い兵(エフェボイ)として軍事訓練と国境守備の義務を負っていました。この2年を乗り切ったら真の市民として認められることになります。またアテナイには徴兵制度があり、とくに20歳から30歳の者が頻繁に徴兵されました。

 

外交

ギリシア最有力ポリスの一角スパルタは、常にアテナイのライバルでした。この2国家はペルシア戦争では手を組み協力したものの、その後勢いづいたアテナイの拡張・侵略政策にともない関係が悪化していきます。
そしてついにはアテナイを中心とするデロス同盟と、スパルタを中心とするペロポネソス同盟との間の、大規模な抗争に発展したのです。(ペロポネソス戦争)。古代ギリシア世界全域を巻き込んだ大規模な戦争になり、最終的にアテナイは敗北してしまいます。ギリシアの盟主としての地位をスパルタに奪われることになりました。

 

 

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