ヘレニズム時代(文化)の特徴〜マケドニア台頭とポリス衰退〜

ヘレニズム時代(文化)の特徴〜マケドニア台頭とポリス衰退〜

ヘレニズム時代(文化)の特徴
〜マケドニア台頭とポリス衰退〜

マケドニア王国・アレクサンドロス大王の東方遠征により、ギリシア文化が小アジア、エジプト、シリアと、東方の広大な領域に広がりを見せた時代をヘレニズム時代といいます。前1世紀末にローマが地中海世界の覇者として君臨するまで続きました。
ここではヘレニズム文化が成立するまでの経緯や、具体的にどのような文化をヘレニズム文化と呼ぶのか?その特徴などについて解説していきます。

 

ヘレニズム時代の成立から終焉まで

  1. ギリシア世界の覇権確立
  2. オリエント文化圏の征服
  3. ヘレニズム文化の成立
  4. ヘレニズム文化の終焉

 

 

1.ギリシア世界の覇権確立

前4世紀ギリシアは衰退期に入っていました。ギリシアポリス間の対立が激化し、すっかり疲弊してしまっていたのです。一方で同時期ギリシア北方のマケドニア王国が国力を伸ばし、ギリシア世界の覇権確立に動き出します。
アテナイ・テーバイなどギリシア有力ポリスはこれに抵抗したものの、やはり戦争続きで落ち目な状態だったので、飛ぶ鳥を落とす勢いのマケドニアの前に屈してしまいました。(紀元前338年 カイロネイアの戦いも参照)ギリシア世界はアレクサンドロス大王率いるマケドニアの勢力圏に組み込まれたのです。

 

2.オリエント文化圏の征服

ギリシアという盤石の拠点を手に入れたマケドニア。今度は小アジア、エジプト、シリアといった東方のオリエント文化圏に狙いをつけ勢力圏を広げていきました。(最終的にはインドにまで手を広げたというのだから驚きです。)各地にギリシア植民都市も造られ、ギリシア文化が一挙に伝播していったのです。

 

3.ヘレニズム文化の成立

ギリシア都市を拠点にギリシア文化がオリエント文化圏に浸透し、その結果オリエント文化とギリシア文化が融合したヘレニズム文化が誕生したのです。ヘレニズム文化圏ではギリシア語がが公用語として使われるようになりました。

 

 

ディアドコイ戦争を経て、広大な帝国領はプトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニアの3つに分裂しましたが、全てギリシア系の王朝には変わりありませんでした。公文書などもギリシア語で書かれていて、こういった国々をヘレニズム諸国と呼びます。

 

「ヘレニズム」とは「ギリシア風」を意味しており、ギリシア人の自称である「ヘレネス」に由来する造語です。

 

4.ヘレニズム文化の終焉

共和政ローマが東地中海に進出を始めると、次第にヘレニズム文化は駆逐されていきました。前30年に最後のヘレニズム王朝だったプトレマイオス朝エジプトが征服されたことで、ヘレニズム時代は終焉を迎えました。

 

ヘレニズム時代の戦争

 

トップへ戻る