古代ギリシアの場所

古代ギリシアの場所はどこか〜地図で見るエーゲ文明圏〜

古代ギリシアの場所はどこか
〜地図で見るエーゲ文明圏〜

古代ギリシアとは、ギリシャ共和国周辺地域(ペロポネソス半島を中心としたバルカン半島やエーゲ海の島々)で、初めて文明が発生した前30世紀頃から、古代ローマがその地域一帯を支配する前2世紀までの時代のことです。

 

ギリシャ共和国は地中海北東部に位置しており、東のトルコと西のイタリア、南のルーマニアなどに挟まれています。(地図参照)

 

ギリシャ共和国の位置

 

 

前20世紀に誕生したギリシア初の文明エーゲ文明は、前12世紀に原因不明の社会変動に見舞われ消滅しています(前1200年のカタストロフ)。
その後の400年間の停滞期を経て、前8世紀アテナイ・スパルタを筆頭としたポリス(都市国家)群が栄え、ギリシア世界は再び政治的・文化的に大いな発展をとげます。

 

「古代ギリシア」は「国」ではない?

わりと誤解されがちですが、「古代ギリシア」という単一の国家があったわけではありません。ギリシア世界各地には、1000以上もの小規模自治体(日本の県レベルの大きさ)=ポリス(都市国家)が自治独立して並存していました。ローマのように周辺民族やポリスの統合をすすめ巨大な帝国を樹立したわけではありませんでした。

 

その結果ギリシア世界の発展は前4世紀に頭打ちになりました。ポリス間の対立が激化(ペロポネソス戦争)し疲弊していったのです。同時期ギリシア北方では、マケドニア王国の勃興が始まっており、その影響力拡大にともない、アテナイやスパルタといった強豪ポリスの自治独立すら危ぶまれていくのでした。

 

しかし結局は最後まで「一つにまとまり外部の敵に対抗する」という道を選ぶことはなく、前338年アテナイ・テーバイ連合軍がマケドニア王国に打倒され(カイロネイアの戦い)、ギリシア世界の覇権をマケドニアに譲り渡してしまいました。戦後マケドニア王国を盟主として結成されたコリントス同盟に、スパルタ除く前ポリスが加盟したことで、事実上ほぼ全てのギリシアポリスがマケドニアの支配下に置かれたのです。

 

 

マケドニアはギリシアか?

ただしギリシア世界のポリスがマケドニアの支配下に置かれた時点で、ギリシア統一国家が樹立されたとする見方もでき、「現ギリシャ共和国は古代マケドニア王国の後継国である」と認識するギリシャ人も多いです。マケドニア王国と他のギリシアポリスは、政治システムこそ違っても、宗教や言語は共有していた、れっきとしたギリシア人で構成された国だったからです。このことがマケドニア呼称問題の根っこにあります。

 

マケドニアの呼称問題って?

マケドニア王国は滅びましたが、王国の故知にあたる地域はマケドニアと呼ばれ、現在のギリシャ共和国、北マケドニア共和国、ブルガリア、アルバニア、セルビアなどにまたがっています。
古代マケドニア王国の主要都市のほとんどは現・ギリシャ共和国内にあったため、ギリシャ人にとっては「マケドニアはギリシャだ」という意識が強いです。隣国のマケドニア共和国(2019年「北マケドニア共和国」に改称)が「マケドニア」の名を冠することに抗議し続けていたのです。(マケドニア名称論争−wikipedia−

 

 

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