古代ギリシアが衰退・滅亡した理由

古代ギリシアが衰退・滅亡した理由〜内乱を繰り返したギリシア〜

古代ギリシアが衰退・滅亡した理由
〜内乱を繰り返したギリシア〜

「古代ギリシア」というのは一つのまとまった国家ではありません。ギリシアは、アテナイやスパルタを筆頭とした千以上の小規模自治体=都市国家(ポリス)で構成されていて、ローマのように周囲の自治体・民族の統合を繰り返し樹立した帝国ではありませんでした。

 

各ポリスは自治独立を最重要視していました。時に「ギリシア文化圏の独立を保持する」という共通の目的の為に、他文化圏の侵略に対し、諸ポリスが同盟を組み共闘することはありましたが(ペルシア戦争)、構成民族も国家運営の方針も異なる共同体なので、敵対することも非常に多かったです。

 

 

ポリス間の対立激化

前4世紀からはポリス間の対立が激しさを増し、ついにギリシア世界全域を巻き込んだ戦争(ペロポネソス戦争)にも発展しました。内輪でいざこざを繰り返しているうちに、ギリシアの政治的・文化的発展は頭打ちになります。そしてギリシアポリスが戦争に明け暮れている間、イタリア半島のローマや北方のマケドニアは領土拡張や国内整備により着実に国力を強化していました。

 

紀元前338年のカイロネイアの戦いで、アテナイ・テーバイ連合軍がマケドニアに敗れ、事実上、ギリシアの大半のポリスがマケドニアの軍門に下る形になります。今度はそのマケドニアがローマとの覇権争いに敗れ、前146年ローマ属州となったことで、ギリシア世界の政治的独立はほぼ失われました。通常ここを「古代ギリシアの滅亡」と解釈します。

 

まとめ

ヨーロッパ文明の源流をつくり、栄華を誇ったギリシアがなぜ滅亡したのか。これはギリシア諸ポリスがバラバラで内乱を繰り返すうちに、疲弊していき、マケドニアやローマのような単一の強国に抗う力を失ってしまったため、といえます。もしもギリシアポリスが一つにまとまり、外の勢力に対抗する体制を築けていたら、歴史は変わっていたかもしれませんね。

 

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