古代ギリシアの教育〜アテナイとスパルタの違い〜

古代ギリシアの教育〜アテナイとスパルタの違い〜

古代ギリシアの教育
〜アテナイとスパルタの違い〜

古代ギリシアの教育は、西洋教育史の出発点といえます。今日本で行なわれている『学問』という枠組みは、基本的に西洋由来のものなので、その始まりを知っておくことはとても重要ですね!

 

さてそんな古代ギリシアの教育は小アジア(現・トルコ周辺)のギリシア植民市イオニアというところで始まりました。ここは高度なオリエント文明圏に隣接しており、様々な文化・技術を吸収し、独自に発展させることができたのです。
さらにフェニキア人のフェニキア文字を元にしたギリシア文字が発明され、知識を広く共有できるようになったことで、『教育』はギリシア世界広しに普及していきました。

 

前置きが長くなりましたが、ここではギリシアポリスの典型例といえるアテナイと、少し特殊な教育方針をとったスパルタを例に、『古代ギリシアの教育』の特徴を紹介したいと思います。

 

 

 

アテナイの教育の特徴

アテナイは海沿いの立地条件を活かし、海上貿易を軸とした商工業が発達したので、多文化交流、民主化などがどこより早く進みました。
特に民主政社会では自分の主張を説得力を持って人に伝える能力が重要なので、市民権を持った男子の必須スキルとして弁論術の教育に最も力が入れられました。

 

7歳になるとスコーレと呼ばれる私塾に入り、読み書きや計算、体育、音楽などの教育を受けました。ただし教育費は親の負担なので、教育を受けられたのは富裕層の男子に限ります。女性、奴隷、外国人などは対象外でした。なお教師は基本的に奴隷の仕事でした。

 

アテナイは古代ギリシアポリスの典型例ですから、他のポリスも似たような教育の歩みを見せていました。ヘレニズム時代にはギリシア人の識字率は劇的に向上していました。

 

 

スパルタの教育の特徴

ギリシアポリスの中でもとりわけ特殊な教育方針をとっていたのがスパルタです。
ギリシアは基本痩せた土地なので、大多数のポリスは地元に足りない資源を補うため、他ポリスと積極的に交流していました。しかしスパルタというのは、ギリシアでも例外的に土地に恵まれたポリスなので、他のポリスとろくに関わらない孤立無援の鎖国政策をとっていたのです。

 

多文化交流もなかったし、民主政も極めて限定的な共同体だったので、読み書き、弁論術、芸術などはあまり重視されず、ポリスの自治独立を保持するため屈強な戦士を育てる「軍国教育」のほうに軸足が置かれていました。

 

※厳しい教育のことを指す「スパルタ教育」という現代の言葉は、スパルタのこの厳しい教育政策に由来しています。

 

またスパルタというのは古来より、市民の何倍もの人口の奴隷に支えられた社会です。何より軍事訓練を重視したのは、奴隷の反乱を警戒してのものでもありました。少しでも反逆の兆候が見られれば躊躇なく殺害し、奴隷殺しが訓練の一環として奨励されたくらいでした。

 

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